11月6日・7日の土日で東京往復してきた。
第一目的のモーターショーの話をすれば、前回よりかもバスの出展が減っていて、かといってトラックが増えたわけでもなく、福祉車両の割合が高かった。
 デモストレーションとはいっていたが、車の横で女の子が手振ったり踊ったりしている。これのどこがデモなのかさっぱりわからない>DイハツとTヨタ この2社に対する俺の評価は下がった。

 他にも燃費向上を宣伝してるわりには多量のライトをグルグルまわしたりフラッシュを焚くなど言ってることとやってることが矛盾してる企業もあった。(もちろんすばらしい出展をしてる企業も多数あった)俺的には前回の方が良いモーターショーだった。

クセニック社のノンステップバス
車椅子でもらく〜に乗り降りできる設計になっていた。

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スイッチを押すと、
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積載容量が増えました〜
(バスネタと関係なぃゃ...)
 左写真はバス接近情報をバス停に表示するのではなく利用者の携帯に表示させるシステムのデモ。
幼稚園の送迎バスを例に取り、指定地点を通過したら親の携帯に連絡が入る様子を見せてくれた。


 右写真はバスの運行にかかせない部品製造会社の展示。
これまでの開発展示と合わせて今後のICカード化を睨んだ商品を展示していた。
今年の国土交通省よくなっていた。環境にやさしいトラックをテーマに出展していた。
写真はジメチルエーテル(CH3-O-C-H3)燃料車
トラック・バス業界でも福祉分野からの出展でもないが、レール・道路両用車の実演もやっていた。レール運転時はけっこうすべっていた。運転には注意が必要である様子だった。


(この会社はレンタル会社)

Maxときは新潟から長岡まで
東京への往路は羽越線+上越新幹線&代行バス乗継でいってきた。
新潟からガラガラの上越新幹線で長岡へ。長岡から新幹線代行バスに乗り換えた。


 長岡到着前から瓦が崩れかけた家屋がめにつき、被災地に近づくとテント村もところどころにあった。が、倒壊家屋は車窓からは見られなかった。

長岡駅にて代行バスに乗り換える
 長岡到着前から瓦が崩れかけた家屋がめにつき、被災地に近づくとテント村もところどころにあった。が、倒壊家屋は車窓からは見られなかった。


←震源地に近い小千谷付近では屋根をレジャーシートで覆っている家が目立ったが
南に進むにつれて見当たらなくなった。

地震とは無縁な農村風景が広がっていた。

対向車線がJRバス関東

前を走るのがJRバス東北
関越道は道路が凸凹であり代行バスは50km/h以上出すと揺れが激しくなった。
トンネル内に関しては新幹線と対照的に無傷であって80km/hだすことができた。
崩れた防音壁は撤去されており道路外の様子がわかりやすかった。

小出インター以南は片側2車線が整備されており、凸凸デコボコだったのがまっすぐに修復されていた。

大和PAで途中下車した。
付近には目立った被害はいっさい無かった。地元の方は平然と農作業をしており地震など無かったかのような雰囲気だった。震源地に近いというだけで風評被害にあっているのが気の毒に思え、PAの売店でおいしそうなきのこ汁を購入した。
次のバスで越後湯沢へと向かう。大和PAから越後湯沢は30分強でいけた。定刻より20分遅く出たのにバスダイヤはゆとりたっぷりであった。

 湯沢で私を迎えてくれたのは紅葉だった。心が安らいだ。

 越後湯沢からたにがわ号で東京をめざす。
 マスコミの力というか、新潟県全体が被災地のような受け止め方をされている感がする。
私が見た限りでは小千谷・川口周辺に被害が集中しており、そのほかの地域ではそれほど被害が見られなかった。地震の悲惨さを伝えるのもマスコミの役目であるが風評被害を防ぐのもマスコミの役目であると思う。
 新潟ばかりが報道されるあまり、越美北線がズタズタになった福井や孤立したことで有名になった椎葉や観光バスが水没した宮津などなどがマスコミで報じられることが少なくなってきて我々の記憶の片隅においやられてきている。国内に限らず海外に目を向ければきりがない。
 すべて同等に報じろとは言わないが、1日1回5分くらいでも各地の復興状況(や観光情報)など飾らないありのままの姿を流すのがいいのではないか。と私は思う。
写真:大和PAで購入したきのこ汁(本文とは関係ありません)

魚沼中央観光

 代行バスには、新潟の事業者が多かった。JRグループはJRバス関東と東北がやってきていた。

 地元の越後交通、新潟交通、頚城バス、観光事業者の魚沼中央観光、銀嶺タクシー、村上観光、、、
そして(゚∀゚)!してしまったが新潟交通佐渡もいた。

JRバス東北 びゅう(^^;

銀嶺タクシー

新潟交通と村上観光

新潟交通佐渡
 復路はつばさ号を利用した。東京→新庄では指定席が取れず、東京→山形と山形→新庄にわけて購入した。(山形まで12分先行の臨時つばさ利用)新庄到着後は陸羽西線で酒田へ向かう。上越新幹線が不通のためか、あんなコミコミの陸羽西線ははじめてだった。酒田で陸羽西線から羽越線に乗り換えたのは2人だけ。秋田では土日きっぷの宣伝も発売もしてないこんなもんかなぁ(^^;
 まだ記憶に残っている阪神大震災。このときは福知山線・加古川線・播但線が大活躍をし迂回ルートを作った。たくさんの臨時列車が迂回ルートに作られた。
 今回の新潟中越地震では磐越西線・越後線・信越線がその役目を担っているが、臨時列車は新潟ー長野直通の臨時快速4往復だけである。会社が違えば状況も違うわけで、私的には車両数や交換設備の不足が臨時列車を設定できない大きな理由だと思う。
 日常での余剰を減らすことは営業上たいせつなことではあるが、こういう非常事態時には困ることになりそうである。
写真:土日きっぷ(本文とは関係ありません)

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